2012年7月29日日曜日

7/27

通夜。精進落としは寿司など。まぁまぁ、旨い。
 翌日、告別式。夕飯の精進落としは、懐石弁当的な物。不味い。

2012年7月26日木曜日

7/25

朝5時30分、病院から祖父が危険だと電話が入る。
 病院が自宅から非常に近いので、すぐ着いた。病室に入った時点では、目は開いていた。
 看護師の話。「25日に日付が変わった辺りから、「暑い」と訴え、布団などを蹴飛ばしてしまうが、体温は変わらないので、湯たんぽを入れた。早朝頃から、心臓の鼓動が弱くなった」。
 朝5時40分、目が開いたまま、心臓停止。長男と主治医の到着を待ち、7月25日朝8時01分死亡。享年、86歳。
 転院して2泊3日。モルヒネが落ちると(?)、こうも様態が激変するものか、と私は驚いた。

2012年7月25日水曜日

7/24

東京の兄弟や、遠方から昔の友達が来て、歓談する。非常に、元気だった。
 夜、お見舞いに行くと、痛くはないらしいが、顔は汗ばんでいて、暑いと言う。しかし、室温は27℃だった。私は、これが塩酸モルヒネの副作用か、と驚いた。何か飲むか?と聞いたら、吸い飲み一口だけ水を飲んだ。

2012年7月23日月曜日

7/23

介護施設から病院に移る。
 1泊なんと3万円。「緩和ケア」というものが始まる。
 医師から言われたこと。「点滴でも痛み止めを落とすが、意識は朦朧としてくる。眠っている時間が、長くなってゆく。熱が出て、呼吸は荒くなる。肺に転移していることもあり、肺炎になって死ぬ。」
 実際、祖父は「痛くない」と言うので、とりあえずは何より。

7/22

一瞬、見せた食欲は、また無くなった。
 お見舞いと握手する時の握力などは以前と変わらないが、声は力弱い。
 非常に寂しがるようになった。家族がお見舞いに行っても、「いったん帰っても、すぐ戻ってこい」的なことを言うし、施設の介護者に対しても「部屋にずっといれば?」などと言う。
 内科の往診で、白血球の値が高いと分かる。「余命1ヶ月かも?」と言われた。
 病院のベットが開いたので、施設から病院に移る。

2012年7月17日火曜日

7/16

「食事をしてみたい」と職員に言ったらしく、昼食にお粥とみそ汁を2,3口だけ食べることができたらしい。
 「座ってる方が楽」と言う。座らせれば、それはそれで痛いと言うと思うが、そういう言葉が出るだけまだマシだと思う。
 私は、こういう意地や欲求が出てきたことに驚く。ADLがもっと向上すれば良いのだが。

2012年7月14日土曜日

7/13

元々、溶けて咽への負担が少ないためアイスを食べていたが、ついに錠剤が飲めなくなった。
 貼り薬に変更。貼り薬はLv1からLv4まであるらしく、まだLv1。
 ただし、施設から「あと1ヶ月保たないかもしれない」とは言われた。
 湿布(?)が、「我慢できないほどの痛み」を押さえ込む錠剤に匹敵する効能を持つほど医学が進歩したことに私は驚く。
 見舞いに行くと「腰が痛い」と言う。
 携帯で家族に「話がある」と電話してきた。面倒は面倒だが、これができる分、まだ良いと思う。

2012年7月11日水曜日

7/11

介護施設に入所する。
 祖父の弟と共に見舞いに行く。オリエンテーションが無いことを不満を言う。最初に病院に入院したことが足がかりになって、自宅にいれなくなった(病院に行ったことが禍だった)等と言う。
 「肩は良くなった」等と言い、麻薬と言えるほどの薬によって体が誤魔化されていることを理解していない。
 なお、施設は建築したばかりなので、綺麗だが、お見舞いが来たからと言って、ガーグルベースを片付けに介護者が部屋から出て行ったり、ネラトンが床頭台に向き出しで置いてあったりと、看護・介護に関しては、やや雑な印象を受けた。

7/10

点滴を「何だこれ」と言って抜きそうになる。
薬を飲むための陶器のコップを「重い」と言う。

2012年7月9日月曜日

7/9

  病院へ書類を提出。近日中に、医師が診断書を書いてくれる。
 昨日の夜、転倒したと言う。しかし、なぜ立とうとしたのか分からない。寝ぼけていたのかもしれない。
 それも踏まえて、訪問看護師が来て、屈むことができるか、ズボンを一人で降ろせるか、等できることや、本人の意識をチェックする。「自宅での介護は難しい」と言われ、入所・入院を勧められる。本人は「リハビリなら」と言うので、近日中に介護施設へ一時入所が決まる。
 自宅での点滴について、本人はあまり乗り気ではない。

2012年7月6日金曜日

7/5

自宅でも点滴が始まる。
 朝食、ごく少量のアイスのみ。
 最近、特に寝起きに見受けられるが、呂律の回らない時がある。友人との電話の時などは、去年同様のハッキリした口調で話す。
 下剤を飲んでいない時でも、便でリハビリパンツを汚す。便秘とか下剤とか、そういう問題ではなく、腸そのものの機能が低下しているように思われる。

2012年7月3日火曜日

7/2

夜、便と吐き気が同時に来て、本人はかなり慌てる。
 夕食は何も食べていない。

7/1

下剤が効きすぎて、1日で介護用の使い捨てリハビリパンツを何枚か駄目にする。リハビリパンツにパッドを敷いて対応。量が少ないので、まだパッドでも平気。
 夕食時、「食べたいと思う物があっても、口に入れると思ったほどではない」ということを話す。食べたい物を聞いても、何もない。
 ほとんど何も食べてないのに、吐き気がする。

2012年6月30日土曜日

6/29

薬を貰いがてら、点滴を打ちに病院へ。
 左肩が腫れているので、これは何かと聞くと、整形外科へ行けと言われる。
 整形外科でレントゲンを撮る。転移した癌が鎖骨を半分溶かしていた。本当は相当痛いはずだが、麻薬に準じる薬を飲んでいるので、何とかなっているらしい。
 病院の特別室が空いているので、薦められる。
 夕飯は刺身2切れ、ツマ(大根)1口、胡瓜1口。胡瓜に塩をやたらかけるので、たしなめる。刺身に醤油をかけた後、胡瓜にもかけようとするので、それもたしなめる。

2012年6月27日水曜日

6/26

TVに映ったアップルパイを見て「美味しそう」と言ったので、昼食はケーキ屋のアップルパイ。夕食はご飯・おかずはいらないと言い、デコポンのみ。
 朝、(言い意味で)野菜を押し売りしてくれる人が来て、祖父と少し会話をする。ほんの数ヶ月前に会った時と、様子が違い過ぎて驚いていた。「3ヶ月保たない」という印象を持ったと言うが、私も同じように思う。食事量が少なすぎて、たとえ空調を付けっぱなしにしても、この夏を自宅で越すことはできないと思う。

2012年6月26日火曜日

6/25

昼食、マイセンのカツサンドを1/2個食べた所で「もう食べたから良い」と言う。「食べ残すな」と叱り、残り半分を食べさせる。夕食、ご飯・おかずはいらない、と言うのでメロンを与えた所、食べた直後に嘔吐。

6/24

親戚が来たということもあり、起きている時間は長い。
それにも拘わらず、夕飯のすき焼きは長ネギ等を少し食べる程度。人間、体を動かさないと、腹は減らないものだと思い知る。
 日中、「郵便局から配当(←株を指している?)を受け取ることはできないか?」と聞かれ、「日曜だから郵便局はやっていないよ」と返答。

2012年6月24日日曜日

6/23

昼食、お粥をお椀1杯。夕食、ふかしたサツマイモを1/4本のみ。
 明日、親戚に会うとのことで、切る髪も無いが、床屋へ。

2012年6月23日土曜日

6/22

椅子を3個並べて、寝ている。
聞くと、「痛い」と言う。寝返りを打って転倒すると危ないため、夕飯まであと少しなので、椅子に座っているように促す。

初めに

筆者:EKE

祖父(68歳)が、前立腺癌になりました。このブログは、その記録です。

 5月、とある球技をしに行き、帰宅すると「肩がいない。準備運動を怠ったからだ」と言う。後に、これは前立腺癌の転移によるものと発覚する。
 体が痛むため、掛かり付けの内科医に行く。癌の疑いが濃厚なため、別な病院で検査を薦められる。
 前立腺癌だと分かる。骨に転移していることが発覚。腕が思うように動かない。
 一人で入浴するのが危険なため、水道用のパイプを組んで、手すりを作る。歩行に、室内でも杖を使用。生前に祖母が使用していた歩行器を物置から出して使用。下着のシャツを、マジックテープで脱ぐことができる物に替える。
 精密検査を受けて、麻薬に類する強力な痛み止めを処方される。以後、頻繁に使用。
 朝・昼・夜、痛む時に飲む薬を処方される。

 6月、トイレに独力で行くが、間に合わずに失禁。
 訪問看護師を依頼。入浴解除、下剤(浣腸)の投与、等を依頼。
 経管・経口両用保水液を口で飲むが、嘔吐。ごく少量の食事で嘔吐。
 食事量は極端に減少。昼食は、元々好きだった果物以外ほぼ口にしたがらない。夕食も、促してごく少量食べる程 度。
 判断力低下。まだ完全には沸いていないのに、風呂に入る。夜6時を、朝6時と勘違いする。